人生再建

第2章:手取り14万、奨学金滞納。そして僕は「リボ払い」に手を出した

8月 31, 2025

手取り14万、奨学金滞納。僕の「現実逃避」

1998年、社会人のスタート。手取り14〜16万の現実

1998年、僕は都内のシステム開発会社に就職し、システムエンジニアとして社会人になりました。

第1章で語った通り、家を失い、母は心を病んでいました。
「ここから真面目に働き、奨学金を返し、生活を立て直すんだ」
そう思っていましたが、僕を待っていた現実は、あまりにも厳しかったのです。

絶望的な給与明細

当時の月給は、手取りで14万〜16万円ほど。

僕は、うつ病で何もできない母を支えるため、手取りの半分以上を生活費として家に入れていました。
残った金で自分の生活を賄い、奨学金を返済していく。
今思えば、どう考えても破綻している計画でした。

「なんとかなる」…PCゲームに逃げた僕の“弱さ”

当然、貯金などできるはずもありません。
大学から借りた奨学金は何とか返済を始めましたが、自治体から借りていたものは、すぐに「滞納」し始めました。

ですが、当時の僕は、その「滞納」という危機感を正面から受け止めることができませんでした。
「なんとかなるだろう」と、一番大事な問題から目を逸らし、見て見ぬ振りをしていたのです。

KAIプロフィール
カイ
昼は外食、夜はコンビニ飯。タバコは1日に1.5箱。将来の計画など何もなく、ただ日々の仕事をこなし、家に帰ればPCゲームに没頭する。そうやって、僕は現実から目を逸らし続けていました。

クレジットカードとの出会いと、僕の“致命的な無知”

クレジットカードの恐ろしさ

「便利な道具」だった頃

そんな「奨学金滞納」から目を逸らしていた僕の前に、クレジットカードが現れました。

社会人1年目の夏、冬のボーナス払いでコートを買うために、初めて某百貨店のカードを作りました。職場への在籍確認もすんなり通り、驚くほど簡単に、僕の手元にプラスチックのカードが届いたのです。

翌年には、当時流行っていたPCゲームがやりたくて、別の信販系カードで8万円のパソコンを分割払いで購入しました。

この時点では、まだ問題はありませんでした。

ボーナス払いや分割払いで、きちんと「完済」できていたからです。
欲しいものが、今すぐ手に入る。今の自分でも支払える。
僕はクレジットカードを「便利な道具」として使いこなせていると、完全に「過信」していました。

その「便利さ」の裏に隠された、金利という本当の恐ろしさ。
その時の僕は、まだ何も知らなかったのです。

「月5,000円なら楽勝」— 年利18%の地獄が始まった瞬間

2002年、結婚。そして10万円のキャッシング

本当の転落は、2002年。息子を授かり、急いで結婚した時のことでした。

妻の出産準備や、当面の生活費のために、まとまったお金が必要になった。僕は迷わず、例の百貨店カードのキャッシングで10万円を借り入れました。

その返済方法として提示されたのが、「リボルビング払い(リボ払い)」でした。

僕が「リボ払い」を最強の支払い方法だと“誤解”した日

当時の僕の思考は、今思えば信じられないほど、あまりにも甘すぎました。

当時の僕の、あまりにも甘い思考

「え、毎月5,000円ずつの支払いでいいの? それなら全然楽じゃん!」

僕は、その裏にある金利の恐ろしさを、まったく理解していませんでした。
年利18%以上という、当時の法外な利率(グレーゾーン金利)

この「月5,000円なら楽勝」という甘すぎる思考と、金利に対する「致命的な無知」こそが、僕をこの先十数年にわたって苦しめる、巨大な借金地獄の本当の始まりだったのです。

第3章へ:幸せなはずの家庭で、なぜ借金は膨れ上がったのか

「リボ払い」という、金利の仕組みも理解しないまま手を出した、最初の借金。

結婚、そして二人の子供の誕生。
幸せなはずの家庭で、なぜ借金はさらに膨れ上がったのか。

次回、その実態をお話しします。

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第3章:月200時間残業と「任意整理」への道。妻の産後うつと奨学金という地獄

家庭の地獄(妻の産後うつ)と、仕事の地獄(炎上プロジェクト) 守るべき家族と、最初の誤算 2002年に結婚し、息子を授かりました。守るべきものができ、僕は「もっと頑張らなければ」と本気で思っていました ...

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(外部リンク:リボルビング払いについて - 日本クレジット協会)

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