人生再建

第3章:月200時間残業と「任意整理」への道。妻の産後うつと奨学金という地獄

8月 31, 2025

家庭の地獄(妻の産後うつ)と、仕事の地獄(炎上プロジェクト)

守るべき家族と、最初の誤算

2002年に結婚し、息子を授かりました。守るべきものができ、僕は「もっと頑張らなければ」と本気で思っていました。

しかし、生活はすぐに一変します。妻が重度の「産後うつ」を患ってしまったのです。息子の世話もままならなくなり、当然、働くこともできません。一家の収入は、僕の給料だけになりました。

悪いことは重なるもので、勤めていた会社(1社目の都内のシステム開発会社)の業績が急激に悪化。僕のボーナスも昇給も、すべて無くなりました。

月200時間残業の「炎上」と、消えた上司

息子がまだ2歳だった頃です。僕のキャリアで最悪と言える「炎上プロジェクト」が動いていました。

プロジェクトが始まってすぐ、直属の上司であるPM(プロジェクトマネージャー)が、うつ病で現場に来なくなりました。

当時、僕はまだ入社4〜5年目。それなのに、そのPMの穴を埋めるよう命令が下されたのです。経験のないPMやPL(プロジェクトリーダー)の役割をいきなり押し付けられました。

顧客との交渉、設計、メンバー管理、そして自分自身の開発作業…その全てを、僕が一人で背負うことになりました。

僕の忠誠心を消し去った、上司の「非情な一言」

当時の勤怠記録は、異常でした。

異常な勤怠記録

半年間、毎月の残業時間は200時間を超えた。

(月の総稼働時間は350時間超が常態化)

そんな時、妻から「息子が乳児特有の帯状疱疹にかかり、入院することになった」と連絡が入ったのです。僕は、すぐにでも病院に駆けつけたかった。

震える手で、部長に早退を申し出ました。
しかし、返ってきたのは、耳を疑うような言葉でした。

僕の心を折った、上司の一言

「子供なんて嫁、親に任せておけ。お前がインフルエンザで40度の熱が出ても帰さない。倒れて救急車で運ばれたら、やっと帰らせてやるよ

この一言で、全てどうでもよくなりました。
未経験だった僕を新卒で雇ってくれた会社への恩義や、忠誠心。そういったものは、この瞬間にすべて消え失せました。

すり減った心と、膨らみ続ける借金

このプロジェクトが終わる頃、僕の心はすり減っていました。会社に残っていた10人の同期は、僕が辞める頃には誰一人残っていませんでした。僕が、最後の1998年入社組でした。

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もう限界だった。でも、二人目の子供も欲しかったし、うつ病の妻を支えなければならない。だから、辞めるわけにはいかなかった。

僕は、結局この会社で8年間、心身をすり減らしながら働き続けました。

しかし、生活は一向に楽になりません。
気づけば僕は、日々の食費や生活費ですら、キャッシングで賄うようになっていました。某百貨店のカードも、別の信販系カードも、借入限度額は常に天井に張り付いていたのです。

借金900万への転落(リボ払いと任意整理)

「リボ払い」という、気づかぬ沼

月200時間の残業をこなしても、会社の業績悪化でボーナスも昇給もない。
家では、産後うつの妻と幼い息子の生活費、さらには入退院を繰り返す母への仕送りが必要でした。

当然、家計は毎月赤字です。

最初は、某百貨店のカードでキャッシングをしました(30万円)。
すぐに枠が埋まると、別の信販系カード(60万円)に手を出し、ボーナス払いでスーツや仕事道具を買っていました。

しかし、そのボーナス自体が無くなったのです。

返済が滞り、僕は「リボ払い」に切り替えました。
これが、本当の地獄の始まりでした。

毎月の返済額は一定になっても、元金が全く減らない。金利だけを払い続けている感覚。
生活費が足りなくなると、今度は銀行のカードローン(100万円)を契約し、そこからもリボ払いで借り入れました。

借金で借金を返す、自転車操業の完成です。

2009年、最初の「任意整理」

2009年。
(※1社目を2006年に辞め、2社目、3社目と転職した後)

リーマンショックの余波でさらに収入が減り、複数のカード会社へのリボ払い返済は、ついに限界を迎えました。学生時代に借りた奨学金も、ずっと返済が滞ったままでした。

もう、どうにもならない。

僕はボロボロの状態で司法書士事務所のドアを叩き、「任意整理」をすることを選びました。

司法書士が間に入り、某百貨店カード、信販系カードと和解。
幸い、将来利息はカットされ、残った元金のみを3年間で分割返済するという取り決めになりました。

これで督促の電話から解放される。
元金だけを返せばいいんだ。

そう思い、心からホッとしました。

この時の僕の「誤解」

当時の僕は、「任意整理」で人生がリセットされたと本気で思っていました。

しかし、これは根本的な解決ではなかった。僕自身の「借金体質」や、収入が不安定な「会社員」という働き方を見直さない限り、再び同じ苦しみに陥るという事実に、まだ気づいていなかったのです。


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転職という希望。しかし、迫りくる「奨学金」という名の過去

月200時間残業からの「脱出」(2006年)

あの上司の非情な一言で、僕の忠誠心は完全に消えました。
息子が入院しても早退させない会社に、これ以上身を捧げる義理はありません。

僕はすぐに転職活動を始め、2006年4月、8年間勤めた1社目を辞めました。
2社目となる別のシステム開発会社です。

僕の当時の心境(2006年)

「転職」で、月200時間という異常な残業地獄からは、ようやく解放された。

これでようやく、普通の生活に戻れる。本気でそう信じていました。

転職によって収入は(残業代がまともに出る分)少し上がりました。
しかし、僕の「自転車操業」が終わることはありませんでした。

任意整理(2009年)をしても、終わらない生活苦

理由は単純です。
2009年に「任意整理」をしても、減額された返済は待ってくれません。
さらに、うつ病が再発しやすい妻は専業主婦のまま。そして、心臓ペースメーカーを入れた母への仕送りも続いていました。

2007年には娘(第二子)も授かりました。
家族が増える喜びと同時に、生活費の負担はさらに重くのしかかります。

結局、転職して収入が少し増えても、出ていく金がそれ以上に多く、家計は常に赤字のままでした。

過去からの督促状。「奨学金」という名の時限爆弾

そんな時、忘れていた過去が僕を追い詰めます。

「奨学金」です。

高校・短大時代、経済的に困窮していた我が家は、自治体から奨学金を借りていました。連帯保証人は叔父です。
僕は社会人になってから、この返済をずっと滞納していました。

任意整理の対象は「カード会社や銀行」だけです。
奨学金は、任意整理に含めることができませんでした。

僕が生活を立て直そうともがいているまさにその時、自治体の委託を受けた司法書士から、連帯保証人である叔父のもとへ「訴訟予告」「一括返済」を求める督促状が届いたのです。

借金まみれの上に、育ての親でもある叔父にまで迷惑をかける。

僕は、自分の不甲斐なさに、ただ打ちのめされました。

まとめ:借金・炎上・うつ病。すべてを経験した僕が「会社員」に見切りをつけた日

会社に尽くしても、誰も守ってはくれない

振り返れば、新卒で入社してからの地獄の日々。
月200時間の残業をこなし、心身をすり減らしても、会社は僕を守ってはくれませんでした。

それどころか、
「子供が倒れても帰さない」
と非情な言葉を投げつけられるだけ。

家庭では、産後うつの妻が苦しみ、家計は常に火の車。
僕は生活費のためにリボ払いに手を出し、気づけば借金まみれになって「任意整理」をしていました。

会社に忠誠を誓っても、給料は上がらない。
ボーナスも出ない。
それどころか、過去の「奨学金」の返済が、育ての親である叔父にまで牙を剥く始末です。

僕が悟った「現実」
会社は僕の人生の責任を取ってくれない。
家族も、生活も、借金も、僕自身でなんとかするしかない。

「会社に雇われている」という立場は、安定どころか、会社の業績や上司の機嫌一つで全てが崩壊する「最大のリスク」なんだと、この時ようやく気づきました。

次の道は「フリーランス」という茨の道

2008年、僕は3社目の会社に転職しました。
しかし、ここでもリーマンショックの直撃を受け、仕事が激減。収入も激減しました。

もう、うんざりでした。

会社という組織に、自分の人生の手綱を握られているのが耐えられなかった。
このまま会社員を続けても、借金を返し、家族を養っていける未来が全く見えませんでした。

2011年。僕はついに「会社員」という生き方を捨て、フリーランスのシステムエンジニアとして独立する道を選びます。

だが、この「フリーランス」という選択が、僕をさらに過酷な「パワハラ」と「うつ病」のどん底へ叩き落とすことになる。

その話は、また次回に続きます。

第4章:ブラック企業で「飼い殺し」の日々。僕が会社員に見切りをつけ、フリーランス独立で月単価60万を掴むまで

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