リーマンショックと「飼い殺し」の日々(2008年~)

任意整理(2009年)と、3社目のブラック企業
2009年、僕は人生で最初の「任意整理」に踏み切りました。
第3章で書いた通り、月200時間残業の地獄(1社目)からは逃れ、転職もしました(2社目)。しかし、結局は借金返済に行き詰まったのです。
地元の司法書士に依頼し、カード会社への返済の目処は立ちました。
しかし、僕が「任意整理」の手続きを進めているまさにその頃、在籍していた3社目の会社が、とんでもないブラック企業だったのです。
「自分で案件を取ってこい」という"飼い殺し"
その会社は、営業力が全くありませんでした。
リーマンショックの不況も重なり、エンジニアである僕たち社員に、あり得ない命令を出してきました。
会社からの理不尽な命令
「昔の上司や、地元のツテを頼って、自分で案件を取ってこい」
耳を疑いました。
エンジニアとして技術を提供するために雇われているのに、仕事は自分で探せ、と。
そんなツテなど、あるはずもありません。
これは、事実上の「飼い殺し」でした。
リーマンショックで「ITの仕事」が消えた絶望
2008年のリーマンショックは、それまでの不況(サブプライムローン問題)とは比べ物にならない「津波」でした。
世の中から、ITの仕事が文字通り「蒸発」したのです。
会社は僕に何の仕事も与えられない。
僕はただ会社に行き、ネットサーフィンをして、時間を潰すだけの日々が続きました。
仕事がないのに給料をもらう。
楽だと思う人もいるかもしれません。しかし、僕にとっては屈辱以外の何物でもありませんでした。
任意整理をして、これから返済していかなければならないのに、仕事がない。
自分のスキルが、キャリアが、社会から必要とされていない。
そんな無力感と焦燥感で、どうにかなりそうでした。
会社員(サラリーマン)という生き方への「見切り」
月200時間残業させられる地獄(1社目)。
仕事を与えられず「飼い殺し」にされる地獄(3社目)。
僕は、この両極端な地獄を味わって、ようやく気づきました。
会社は僕の人生の責任など取ってくれない。
組織にぶら下がっている限り、景気や上司の一存で、僕の人生はいつでも「詰む」のだと。
このまま「会社員」という生き方を続けても、未来はない。
僕は、会社組織に依存する生き方そのものに、完全に見切りをつけました。
2011年、フリーランス独立という「決断」

なぜ「フリーランス」という道しかなかったのか
2011年。
「飼い殺し」状態だった3社目を、僕はついに退職しました。
そして、個人事業主(まずは白色申告)として、「フリーランス」のシステムエンジニアとして独立しました。
これは、決してキラキラした「憧れ」や「夢」からの独立ではありません。
僕にとっては、それしか道が残されていなかった、という「切迫感」による決断でした。
考えてみてください。
- 地元の司法書士に頼んだ「任意整理」の返済は、待ってくれない。
- 家には、うつ病が完治しない妻と、幼い子供が二人(息子と娘)がいる。
- 会社員(サラリーマン)の給料では、昇給もボーナスも期待できない。
このまま会社に飼い殺されていては、どう計算しても家計が破綻する。
僕にとって「会社員」という選択肢は、安定どころか、家族全員を路頭に迷わせる「最大のリスク」でしかありませんでした。
会社に中抜きされるマージン分を、自分の力で稼ぎ出すしかない。
生き残るためには、それしかありませんでした。
独立直後の「新たなストレス」(元請けの理不尽)
フリーランスになれば、全てが自由になる。
……そんな甘いものではありませんでした。
独立直後、なんとか掴んだ常駐先の案件。
しかし、そこは「会社員時代」とはまた違った種類の、新たな地獄でした。
彼らからの理不尽な要求、上から目線の物言い。「カネを払っているんだから」という態度に、僕は何度も煮え湯を飲まされました。
劣悪な環境に、同年代の仲間は次々と辞めていく。
気づけば、僕自身が溜まったストレスで現場でキレるようになっていました。
転機:エージェント登録と「月単価60万円」の現実(2014年~)

2014年、青色申告と「フリーランスエージェント」への登録
2011年からフリーランス(白色申告)として活動してきましたが、元請けの理不尽な要求にストレスを溜める日々が続いていました。
このままではいけない。
2014年1月、僕は一念発起し、節税メリットの大きい「青色申告」に切り替えました。
そして、これが僕のキャリアの大きな転換点となるのですが、同時に「フリーランス専門のエージェント」に登録したのです。
これまでは、自分のツテや紹介だけで、不安定な案件をこなしていました。
しかし、エージェントを通すことで、僕が個人ではアクセスできないような「優良企業の案件」を営業担当者が紹介してくれるようになったのです。
初めて掴んだ「月単価60万円」という衝撃
エージェントの担当者から提示された金額を見て、僕は衝撃を受けました。
「カイさんのスキルなら、月単価55万~60万円の案件が狙えます」
月単価60万円。
信じられませんでした。
かつて(1社目)、月200時間残業しても手取りは16万円。
会社員時代、どれだけ身を粉にして働いても届かなかった金額です。
それが、僕の「技術」だけで、正当に評価され、稼ぎ出せる。
会社にマージンを中抜きされず、自分の価値が「金額」として示されたこの事実は、僕にとって初めての「成功体験」でした。
「金」は手にした。しかし、迫りくる「病」の予兆
エージェントのおかげで、僕の収入は会社員時代とは比較にならないほど安定しました。
任意整理の返済を続けながら、二人の子供を養っていく家計にも、ようやく光が見えました。
しかし、皮肉なものです。
経済的な安定を手に入れたまさにその頃から、僕の心は別のプレッシャーに蝕まれ始めていました。
フリーランスの「孤独」と「重圧」
会社員時代とは比較にならない、「結果を出し続けなければならない」という重圧。
「来月の契約を切られたらどうしよう」という恐怖。
誰も守ってくれない、孤独な戦い。そのプレッシャーが、僕の心を静かに、しかし確実にすり減らしていきました。
まとめ:会社員に見切りをつけて。手にした「金」と新たな「病」の予兆

僕が「会社員に見切りをつけて」本当に良かったのか?
「飼い殺し」にされたブラック企業(3社目)。
「月200時間残業」の炎上地獄(1社目)。
僕は、会社員という生き方に見切りをつけて、フリーランスという道を選びました。
その結果、「月単価60万円」という、会社員時代には想像もできなかった金額を自分の力で稼ぎ出すことができるようになりました。
では、フリーランスになって本当に良かったのか?
答えは、間違いなく「イエス」です。
あのまま会社員を続けていたら、僕は「任意整理」の返済もままならず、家族もろとも破綻していたでしょう。
自分の技術が「金」になる。
会社に中抜きされず、正当な評価を得られる。
フリーランスという働き方は、僕をどん底から救い出してくれました。
フリーランスの「天国」と「地獄」への分岐点
しかし、手放しで「フリーランス最高!」と言えないのも、また事実です。
会社員時代にはなかった「孤独」と「プレッシャー」。
これこそが、僕がこの後10年以上にわたって味わうことになる、フリーランスという働き方の「地獄」の入り口でした。
僕が経験したフリーランス(SES)の「天国(高単価・自由)」と「地獄(パワハラ・うつ病・孤独)」の全記録は、以下の記事で詳しくまとめています。
これは、あなたが決して見てはいけない「地獄」の記録かもしれない 「会社を辞めて、自由に働きたい」「実力さえあれば、会社員時代より高収入を得られる」 フリーランスという言葉には、そんな輝かしいイメージが ... 続きを見る 40代フリーランス、そのエージェントは「地獄」への案内人かもしれない 「フリーランスとして、この先も食っていけるだろうか…」 「年齢で足切りされてる? 最近、良い案件を紹介してもらえない…」 「今のエ ... 続きを見る
フリーランスSEの天国と地獄|僕の10年間の全記録
40代SEの失敗しないフリーランスエージェント戦略
次章(第5章)へのフック
手にした「金」と引き換えに、僕の心を静かに、しかし確実に蝕まれていました。
次章、僕を「うつ病」の淵に叩き落とすことになる、業務委託先での「パワハラ」と、人生で初めて診断される「適応障害」についてお話しします。
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第5章:適応障害。月収60万の裏で、心が壊れていった日々
月収60万円。フリーランスとしての成功 2015年にフリーランス専門のエージェントと契約したことで僕の収入は劇的に安定しました。 月々の単価は50万円を超え、常駐する現場にも恵まれました。周りのフリー ...
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