月収60万円。フリーランスとしての成功
2015年にフリーランス専門のエージェントと契約したことで僕の収入は劇的に安定しました。
月々の単価は50万円を超え、常駐する現場にも恵まれました。周りのフリーエンジニアは月単価80万から120万を稼ぐ猛者ばかりで隣の芝生はとても青かったが、会社員時代の理不尽な人間関係や不安定な搾取・低収入に怯える日々はもうない。
自分のスキルだけを武器に家族を養っていける。僕はようやく手に入れた自由と安定に心の底から安堵していました。
しかしその平穏は長くは続かなかった。新たな常駐先で出会った強烈な「パワハラ」が、僕の心を静かに、しかし確実に蝕み始めたのです。

駅のホームで、動けなくなった日
それは特定の個人からの執拗な人格否定でした。僕の書くコード、僕の成果物、そして僕という人間そのものに対して、毎日じわじわと精神を削るような言葉が浴びせられたのです。
最初に異変が現れたのは睡眠でした。
若い頃は枕に頭をつけると5分で寝付けていたし朝までぐっすりだった自分が、夜中に何度も目が覚める「中途覚醒」。二度寝ができない。
焦燥感と不安感、絶望感に余計に寝つけなくなり、鬱々とした朝に起きるべき時間へ近づくと逆に強烈な眠気に襲われる。
体がおかしい。心が悲鳴をあげている。そう感じてはいたが家族を養うために仕事を辞めるわけにはいかなかった。
そして、ついにその日は来たのです。
僕の心を打ち砕いた瞬間
職場最寄り駅のホームに降りた途端、涙が溢れて足が動かなくなった。
改札へ向かう階段がどうしても登れない。大の男が駅のホームでただただ泣きじゃくる。
僕はその日、会社に行くことができず体調不良の連絡を入れてそのまま家に逃げ帰りました。
妻が以前お世話になっていた心療内科へ予約の電話をかけるも、初診は2週間後になるとのこと。もがきながら2週間、仕事を休みがちになりながら満身創痍で生き延びる。何も知らない子供達の笑顔や優しさが、まるで自分を責めているようで本当に辛かったのです。
心療内科での診断名は「適応障害」。そして重度の不眠症と抑うつ状態。会社員時代に心を壊しながらも耐え切った僕を、再び同じ悪夢が襲ったのだ。「まさか、俺が…」。
すれ違う夫婦の心
適応障害と診断されてから僕はまともに働くことができなくなりました。仕事に復帰してもすぐに症状が悪化して出社できなくなる。エージェントからの信用も失い、仕事の紹介は減っていきました。
収入が不安定になった僕を支えるため、妻は土日も平日も身を粉にして働いてくれました。家事も育児もすべてを一人で背負わせてしまったのです。
いつしか僕たちの間に会話はなくなっていました。同じ家にいながら心はどんどん離れていく。
互いに疲れ果て追い詰められていた僕たちは、家の外に癒しと安らぎを求めるようになってしまったのです。
それは必然の結末だったのかもしれません。僕たちの結婚生活は静かに、しかし確実に終わりへと向かっていたのです。
次回、第6章。適応障害ともがき続ける日々、そして、ついに訪れた妻との別れ。「離婚」という現実が、僕から何を奪っていったのか。その全てをお話しします。
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第6章:離婚。空っぽの食卓と、僕が失った全てのモノ
修復不可能な亀裂 適応障害でまともに働けず、妻は身を粉にして家計を支える。会話のない家の中、僕たちの心は静かに、しかし確実に離れていきました。 互いに疲れ果て、追い詰められていた僕たちは、家の外に癒し ...
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